他人の幸せを妬むのを、本当にやめたいなと、思う。
自分に近い存在と自分自身を比べることで、ダメな部分とか努力してない部分とかがまざまざと見えてくる。
もう隣の○○ちゃんは難しい勉強ができるようになってるのに、とか、隣の隣のご主人はもう部長なのに、とか、隣の隣の隣の奥さんはいつもおしゃれにしてるのに、とか言われると、すごく悲しくなる。
比較とか競争とかは、人間の行動をドライブするのに大切な要素だとは思うし、相手をやる気にさせたくて、わざとそうゆう言い方をするのはよくわかるし、自分も無意識にそう言ってることもある。
だけどそれは、試合とかゲームとか、ルールが明確にあって、みんながそれを楽しめている時だけでいいんじゃないかな。
つい、自分の人生のあれこれに、勝ち負けシステムを導入しちゃうから、色んな人に嫉妬しちゃう。
なんかね、たぶんこれからの世の中って、仕事とプライベートとの境界がますますあいまいになっていく気がするし、週末はダメ平社員に社長がこうべをたれて釣りの手ほどきを受けるってゆうのも映画だけじゃなくて当たり前の光景になると思う。
そしたら、人生、何が幸せなのかよくわかんなくなるし、まあ幸せのカタチとはかくも複雑怪奇、摩訶不思議でござるなあと、みな訳知り顔にふむふむとうなずいていれば、平和な空気が漂いはじめるではありませぬか。
実際そうなのよね、何が幸せかっていうのは本人になってみないとわからないのよ。
すごいお金持ちの友人がね、言うんだよね、さみしいって。
自分のことを本当に理解してくれる人なんかいないって思うんだって。
あんまり意味わかんなかったからとりあえずセコイヤ100万ケース買えって言っておいた。
そんなわけで、これからは他人に嫉妬する前に、その人に心の中でお礼を言おう。
おかげさまで嫉妬させていただいてます、あなたを嫉妬することで今日のやる気と明日への活力をいただいております、いや実にありがたい、ありがたい。
あーなんか嫉妬するって面倒な気がしてきた。
まあそれでもこの連休に、ひろしま菓子博のフルタ製菓ブースに行ける人には怨嗟の炎がメラメラしちゃうんだから、とかく人間というものは複雑怪奇、摩訶不思議でござるなあ。
ふむふむ。