フルタ製菓株式会社 ボツ案 

オンエア中のTVCMについてダラダラと書くにゃ

ちょちょいのちょいなんて世の中にはないんだぜ!


とくに仕事にかぎった話でないのですが。



いつだって「やること」というのは、「言うこと」よりも、ずっとむずかしいものであります。


たとえば「そのへんでハロウィンの仮装して歩いているセクシーなおねえさんたちを動画で撮ってくる」いうのは言葉にすると、とっても簡単でありまして。

しかしまず一体どのへんにハロウィンの仮装しているセクシーなおねえさんがいるかわかりませんし、そもそもそのおねえさんがセクシーかどうかを何をもって判断するべきなのかよくわかりません。

おまけにその人たちを無許可に撮影するわけにはいかないので、いつ何時ハロウィンの仮装しているセクシーなお姉さんに出くわしてもよいように、大量の契約書をカバンに入れながら移動する必要があります。

また昨今は、そのあたり本当にセンシティブになってなりすぎることはないので、色々考えたらちゃんとセクシーなモデルさんにお越しいただいてハロウィンの仮装していただいて撮影させていただいたほうが、結果的には色々スムーズだったりするわけであります。

かようなプロセスをすべてひっくるめて「簡単」と言うのは、なかなかの根性が必要だと考えられるのであります。

わたしなども何かにつけ「そんなもんちょちょいのちょいでできるだろーが」とつい口走ってしまう時がありますが、それは間違いでして、「ちょちょいのちょいでできるだろーが」と口走る、ということについて「ちょちょいのちょいでできる」だけなのであります。


ちょちょいのちょい。


さて、それではなぜ人は「こんな仕事、ちょちょいのちょいでできるだろーが」と簡単に言い放つことができてしまうのでしょうか。

むろん諸説あると思うのですが、その1つに「他のところでもうまくやってるんだから、簡単にできるだろーが」という暴論があると思われます。

これ完全にわたしなどは幼少の頃に母親から「となりのTちゃんだって生徒会長をしているんだから、あなたも学級委員くらいはつとめてほしいわ」というようなセリフを何度も言われたことを思い出すのであります。

ここで母親にとって「息子が学級委員をつとめる」というのは文字通りの意味でしかなく、そこにはクラスの中で息子の他に誰が支持されているのかとか、息子以外に圧倒的に人気のある人物がいることとか、あるいは息子は授業中にパンツにウ●コをもらした事件のせいでもともと決して良くもなかった評判が完全に地に落ちているとか、そういう事情というのはまったく勘定の外なわけであります。

また、仮にこのような話を息子自身が自分の口で語ったとしても「そんなものは言い訳」という伝家の宝刀でばっさりと斬られてしまうわけであります。


ちょちょいのちょい。


もちろん世の中には実際に「そんなものは言い訳」であることも多いので、余計に事態はややこしくなっております。

逆に「ちょちょいのちょいだろ」と言われて、なんの言い訳もせずに黙々と取り組んでいる人にかぎって、ある日突然「辞めます」とか言い出すこともある。

であるからして、誰かに何かを頼むときというのは「こんなこと簡単だろ?」ではなく、「これはなかなか困難な仕事だけれど、きみとぼくならなんとか乗り越えていけると思う」というのが正解なのかもしれないなあと思う昨今であります。

実際に、そう思える仕事だけをていねいに取り組めていけたらいいのになあと思いつつ、ついつい、ああもうちょっとこうしたらよかったんじゃねえのかなあ・・・と心残りのある仕事をやってしまったりして、うわああああああってなったりする。


ま、そんな時は「ちょwwこのパッケージwwwチョコレートの風味じゃなくてフレンチトーストそのものやんwwww」とツッコミながら、「セコイヤチョコレート フレンチトースト」でも食べて落ち着いてください。

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皆様の幸せを心から祈っております。



ちょちょいのちょい。