未熟な人を見てると、ついイーッ!ってなって間違いを指摘したり、訂正させたりしたくなる。
もうどうやったらそんな甘い考え方ができるのーッ!
それにその言葉づかいは何なのーッ!
っていうかその存在自体が何なのーッ!
キーッ!ってなっちゃう自分を止めるのとっても大変。
で、めんどくさいからついつい自分で全部やっちゃったり、あと本人の前で注意するのかっこわるいからって陰口叩いちゃったり、やっぱり思いなおして、本人に直接指導をしようと意気込んでたら、なんすか何今頃言ってるんすかってバカにした目で見られちゃってこっちが変に委縮しちゃったり、もう大変ったら大変ですよ。
でもね。
よく考えたら、とある方面について未熟な人っていうのは、これからググッと成長することができる余地が残っているわけで、それって自分には二度と戻ることができないキラキラした地平なんだよね。
そこにこれから立ち向かおうとしている人に出会った時、僕にできることって、まずは祝福することだよね。
ああ、あなたはこれからたっぷりと伸びしろが残っているんですね、ガンガン戦っていっぱいレベルを上げていくことができるんですね、すばらしい、とにもかくにも、それだけで無条件にすばらしい。
なんかね。
それは別に若い人だけじゃなくて、これから新しいことに挑戦しようとしている人や、挑戦せざるをえない人や、その中間くらいの人々についても一緒だと思うの。
歳を取るとそれはもう中途半端に周りの目とかしょうもない体面とかくっだらない権力とかを気にして、自分が未熟であることを隠そう隠そうとしてしまうわけですが、仕方ないよ。
だってだって誰だって、やったことのない分野に関しては未熟なわけで、失敗もするし、理解に時間もかかりますよ。
でもね、隠そうとしたって無理だよ、わかんないことはわかんない、できないことはできない。
それでもなんとかできるように努力するのはなかなかかっこいいと思う。
で、もしそれでも自分には無理だって思ったら、やっぱりできる人にお願いするしかないよね。
あのね。
そういう時は、ちゃんと頭下げるなり、その人に敬意を払うなり、そこんとこ本気でやりたいよね。
すげーかっこいいお辞儀できるようになりたいよね。
世の中にはお辞儀と真逆の方向に頭を動かして、偉そうにすることが正しいと思っている人いるみたいだけど、それ完全に逆だよね、かわいそうだけど。
だからね。
誰だって何かについては未熟なわけで、しかしそこからキラキラと輝いていける余地を残していることはもうどう考えたって無条件に素晴らしいことで、っていうかそもそも企画考えたりアイデア思いついたりするあたりでは未熟どころか十分に成熟しきっている若い学生さんたちとコラボレーションしたセコイヤチョコレートの新商品がフルタ製菓にもありますんで、とりあえず買ってください。