このあいだ大好きで大好きでもう目に入れたら絶対痛いよっていうお気に入りのうどん屋さんにアメリカ人を連れてったら、こんなクソまずいもん食えるかよって顔しながら無理矢理のどに流し込んでるのを見て、おお、のどごしで食べるなんて讃岐人とおんなじじゃねえかよ、やるなコイツって、思うわけない。
すげーショックだった。
でもそうなんだよね、もうね、出汁って魚臭いし、なんでこんなに熱いんだよ、ちょっと冷ましてから持ってこいよ、おまけに麺は味がないのに妙に固くてイラッてくるし、なんだよこのエビの揚げたやつ全然パンチないよ、こんなんじゃたんぱく質が足りねーよ、オレは肉が食いたいの、に・く・が、この国にだってあるだろう、に・く・だっつうの、に・く、って思うらしい。
あのね。
日本人って食べることが好きな人が多くて、おいしい料理の情報ってすぐにシェアされるし、実際にジャンルもいっぱいあるし、見た目だけじゃなく実際に口に入れる時のことを深く考えて追求する傾向あるし、世界一ごはんがおいしい国だって思うけど、そらまあどこの国だってそう思うのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
だけど、これだけおいしさについてこだわっている人が多くて、でもってある程度「これはおいしいよね」っていう基準みたいなものが共有されているってすごいことなんじゃないかな。
そらまあ各人で好みっていうのはあるけど、だいたい味噌汁飲むよね?
昨日飲んだ味噌汁が、僕の家では白みそだったけど、部長の家ではチョコレート味だったし、反抗期の娘さんだけがバナナフレーバーの味噌汁をわざわざ別の鍋で作っててそれを部長が一喝したのが原因でまた夫婦喧嘩が勃発して離婚やなんやとか、そういうことにはならないよね?
あのさ。
おいしいっていうのは生きている上でまあまあうれしい出来事なので、それが概ね近いラインで共有されているってすごいと思うのね。
それが誰かの陰謀とかメディアの洗脳とかまあそういう風に考える人は勝手に考えてもらうとして、これって「同じ喜びを共有できたほうが楽しいよね」っていうことを多くの人が選択しているように思えるのです。
もうね。
誰かと一緒に、あ、これっておいしいよねって、思いあえるってすごいよね。
価値観がぜ~んぜん違う人同士でも、あら、これおいしいじゃねえの、ってちょっと恥ずかしそうにつぶやきあうの、すごいよね。
それが狭い土地ゆえに資源が限られているからであっても、企業のマスマーケティングによるものであっても、もうこの際どうでもいいじゃん。
僕はあなたと一緒に、おいしいね、って笑いたいの。
でも仕事クソ忙しい時にFBでうまそうなメシアップしてるの見るのマジむかつく。