だいたい怒ってる。
風呂水を抜き忘れてたとか、子供の提出物を玄関に置いて行ったとか、お義母さんと言い合いをしたとか、何らかの理由で怒ってる。
受電してしまうと非常に声が大きいため怒られてるのがみんなにバレバレになるので、あわてて休憩室へと走る。
あまりに焦るので、誰かのデスクの角にももをしたたかに打つ。
身もだえする。
しかし動揺を悟られてはいけないので、激痛をこらえながら休憩室へと向かう。
その間じゅう携帯電話は怒りに身を任せて震えまくっている。
あと少しだ、休憩室まであと数メートル。
長い。
だがその長い距離も今はすでに過去のものとなりつつある。
そうだ、扉を空けて、あと少しで。
まずい。
会社で一番かわいい女子も休憩室に入ってくる。
だめだ、密室に2人っきり。
そこに電話の向こうからの怒号が鳴り響く。
そんなのは耐えられない。
逃げろ、逃げるんだ。
不審げな彼女の視線をまともに被弾しながら廊下へ飛び出し、ただ、あてもなくさまよう。
もう、限界だ。
廊下で電話に出るしかない。
そう決意して、ポケットに手をやった瞬間、バイブレーションが停止した。
いかん。
すぐに折り返さないと。
しかし、悪魔が囁く。
このまま無視するという選択肢もあるではないか。
重要な会議で出られなかったことにすればいい。
俺は廊下に立ち尽くし、そのリスクとメリットについて考えている。
向こうから俺に目をかけてくれている役員がやってきたが、そんなことはどうでもいい。
俺にとっては出世の前に、決断しなければいけないことが、今あるのだ。
俺はふと、この緊張感こそ、大人のセコイヤチョコレートに必要なものじゃないかと思った。
しかし、ふたたび携帯電話が震え始めた今、そんなことはどうでもよくなっていた。