フルタ製菓株式会社 ボツ案 

オンエア中のTVCMについてダラダラと書くにゃ

なぜ義理チョコはこの世にあるのか?




人間、何が一番悲しい気持ちになるかって、自分以外の誰かと誰かが幸せそうにしている時なんだよね。


そりゃ自分もそれなりに満たされている時はそうじゃないですよ、だけどだいたいの場合、ああみんな楽しそうだなあって感じる時ってのは自分にはあんまし余裕がなかったり孤独だなあって思ってる時が多くて、そういう時に隣で楽しそうに笑いさざめいている光景を見るとただうらやましいとかそういうのを越えて、自分だけがはじきとばされてるって強~く感じるんだよね。

バレンタインデーだって、それ自体は全然嫌いじゃなくって、なんか相手に掛け値なしに好意を伝えられる素敵な機会だよねってすげー上から目線で思うんですけど、いざ自分の周りでキャッキャウフフされるとあーなんかこれオレだけ完全に邪魔者だし消えたほうがいいよね、いやむしろ今すぐ消えちゃいたいってなっちゃう。


だからね。


義理チョコってのはあったほうがいいと思うんだよね。


むしろ、この世のチョコは全て義理チョコにしてしまえとか思いかけていやそれじゃ色んな大人の事情も含めてまずいなと思い直してるような状態で。

だってさ、まあそりゃ誰かは誰かに本命チョコを渡してるかもしれないけど、別に正直あの人が誰に本命チョコ渡すかとかどうでもよくて、いやどうでもよくない時もあるけど、問題はあの人なり色んな人がチョコレートをプレゼントしたりされたりしてる楽しそうな領域にボクだってワシだって拙者であっても混ぜてもらえるかどうかってとこがほんとしょ~~じきな感想としてあります。

だからね、おっさん、義理チョコもらった時に、そりゃもう表面上は夏休み明けに全員に配ってる手土産受け取るような態度で反応しますけど、心の中では超テンション上がってる、マジで上がってる。

たとえその日一日にもらったチョコがすべて義理であっても、それを全部持って帰ってせめてその日は美少女フィギュアとかもちょっと位置をあっちにずらして、戦利品たる義理チョコたちを机の上にキレイに並べて観賞しておきたいんです、もうそれだけでいいんです。


あのね。


もうさ、こっちはたいがいおっさんだから別に自分のことだけ好きになれとかオレのことだけ見てろとかそんなこと言いませんし思っていても決して口には出しませんけど、とにかく多くの人がバレンタインデーだといったん合意しているその特別な日に義理だろうが何だろうが何かをいただけるだけで、心の奥のカサカサした部分が若干しっとりするのであります。

このなんだかよくわからない人生というお祭りに、さてこれからもわっしょいわっしょいと参加していくとしますかね、って気持ちになるわけであります。


そんなわけで義理チョコにはあのチョコよりも、セコイヤチョコレート