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フルタ製菓株式会社 ボツ案 

オンエア中のTVCMについてダラダラと書くにゃ

イケダハヤトさんへ、無関係です。




先日、実家に帰って父親と、今の世の中について、お互いの見解を話し合った。

父親は自分の意見をぽつりぽつり話しながら、コーヒーの入ったカップを手に取ったり、お皿を動かしたりしてたけど、僕はその手元が微妙にぷるぷるとふるえる感じが気になって、あまり内容は頭に入ってこなかった。

あまりに気になったので僕が彼にそう伝えると、父親いわく、何かの作業に集中しようとすると、ふるえてしまうんだそうだ。

父親も年を取ったな、と思うと同時に、僕自身もそうなる時がすぐに来るだろうなと、すごく素直に思えた。

そこには別に悲しいとか辛いとか諸行無常とかそういう感情ではなく、いわば単なる現状認識があっただけで、もしそれでも何らかの感慨があるのだとしたら、そうやって自分も年を取っていくことができるのであれば十分だけどな、という期待に近い心の動きがあった程度だ。

とにかく、人間は年を取っていく、ということをテレビドラマとか小説とかではなく、現実の事象として受け止めるようになったし、それがすでに自分にも訪れていることを自然なことだと感じるようになった。



もちろん死ぬのは怖いし、老化を喜んで受け入れているわけじゃない。

色々とやり残していることがあるし、これまでも、心の底から満足できた経験なんてまあほとんどない。

僕の内側にはドロドロとマグマのように煮えたぎった欲望や失望や羨望やらが残っていて、お前はこのまま死ぬつもりなのか、それで本当にいいのか、と恨めしげな声で訴えかける。

たしかに、10年前の自分がいまの僕の姿を見たらがっかりするかもな、とも思う。

夢と希望とエネルギーにあふれていて、どれだけ激務が続いていても、いつかは理想の自分になるんだと燃えていた僕には、予想もできなかった今の僕だ。



だけど今の僕が30年後の僕を見た時は、コーヒーカップを持っている手元がぷるぷるとふるえていても、別に悲しいとは思わないだろう。

僕が父親に向けていたものと全く同じまなざしを持って、その姿を見つめるだろう。

それよりも、僕のこの身体がこれから30年もちゃんとこの世にとどまっていてくれることに感謝するだろう。

これからも訪れ続けるだろう色んな悩みや悲しみや苦しみを文字通り一身に受けながら、それでもこの世界にあり続けられることの幸運を心から喜ぶだろう。

この10年で僕は不完全なレベルの社畜になり果てたかもしれないけど、生きているということ自体が、それだけで、どれほど素晴らしいかということだけは、理屈じゃない部分で確信できるようになったと思う。



ここまで書いていて、父親がこう言っていたことを思い出した。



お父さんはな、一流にはなれへんかったわ。だからまあせめて人に必要とされる仕事をしようとは思っとったわ。



僕は死ぬまでに、そこまでの境地までたどりつけるかなあと思うと、課題は山積みで、まだまだ生きなきゃと頭が痛くなる。

あ、すっかり忘れてました、オンエア中のCMについての追加情報を載せておくにゃ。


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